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願いが叶う時(くじ引きの空気)

何かが欲しいと思って、それがすんなり叶う時には、
独特の空気が漂っている気がします。

そうなるような気がするというか、密かな確信と言うか。
欲しいは欲しいだけど、強烈ではない自然な欲求の時。
それで、それが必要な時。
(「必要」と言うか、無いよりあった方がいい時と言うか。)


昨日はくじ引きで、ふと目をつけていた物(ケース)が当たりました。

何でくじ引きなんかしようと思ったのか分かんないんですけど

何となくケースに目が行って、当たるかもとは思わなかったのですが、
貰うならアレが良いなとだけ決めて引きました。

前の人達もそんなに当たってなかったので、
まぁ使わない人形とかが当たったら子どもにあげよう…
と思っていました。

当ててから、それが必要だったこと、と、
別のものが当たっていた所で、
誰か一人にあげたら贔屓になるから簡単にはあげられなかった、
という事が判明。

だからまぁ、丁度良かった。です。

直前の会話で
「ケースとか買わないの?」
「うーん…あればね」と言っていたのも当ててから思い出しました。

良いのがあれば買うけど、無いなぁー…まぁポーチで代用してるからいいけど…要るかな…とか思ってたのでした;


うまく言葉にはできないけど、
「なんか上手く出来てんなぁ…」と一人思いました(--;



あと、ポケトレで色違いポケモンを出す時、
あれもこれも欲しいとか思ってると連鎖が続かない気がします。

ぼーっとテレビとか見ながら別の事を考えつつ、
「次つなげよう」とだけ思っていると、意外と繋がります。

(繋がらないかも、とか、早く出ろとか、切れたら最悪とか思ってると駄目?)

というわけでさっきテレビ見ながらポワルンの色違いを捕まえました。

自慢の裏庭では、連鎖が続かなくてキレそうになることが多いのですが、
どんなのか見てみたいという軽い気持ちでやったら一度の連鎖で40回続きました。

コレの時も、何となく続く気がして、そういう空気の中に入っていました。


何なんですかね。

ちょっと不思議です。

やりすぎると空回りする(抜けてしまう)し、
この空気の中に居られるようにバランスを取るのが難しいです。

まぁそうなってしまったら大方大丈夫なので、
それよりも、そこに突入するのがムズいというか。


何かこう、物理的なモノだけでは心もとない状況を動かす時、
(で、動く時)、自分の周りの空気がちょっと変わる気がします。

色々記憶を掘り起こすと大抵、その感覚があります。

緊張感のない緊張感というのか。
ざらざらしていて無色で、何も考えてない。
エアバッグに背中を包まれているような。


一番は…何も考えてない事でしょうか…?
当たれとかどうせ当たらないとか。


で、どうでもいい時にくじ引き当たったりして、
(アイス買いたいけど面倒で買うのを止めた時に、
アイスが当たったりとか)

確かに「ちょっと要る」ものではあっても、
そこでくじ運使うってどうなんだ?と思ってしまいます。
(「くじ運」ってモノ自体、あるのか分かりませんが)

嬉しいっちゃ嬉しい、のかな…?という。

どうでもいいって事は、
何が当たるかとかどうしたいかとか、
あまり考えてないって事で、必死になってないです。


欲しいと思ってから、それにしがみ付かないと、
いいのかもしれません。


ぜえってえええええにほしいいいい!!!!!!!!!
という時に限ってくじ引き撃沈したりします。

何でなんですかね??


必死な願いの時とか不純な動機の時は、
全くあの空気は「発動」しないです。


そういえば、

(覚えてるのは大抵くじ引きの時の話ですが)
(そんなにくじ引かないので遡ると10年ぐらいあっという間)

大昔にシャチのぬいぐるみが欲しくて当てた時もそうでした。

貰える、手に入る…という以前の、
何か「来る」という無言の確信?が漂ってるというか。


だから。。。

くじに手を入れる時から何となく
「残念賞は貰わない」という妙な自信はあったり。

当たった後は、
嬉しいような、「当然」の様な。(ぁ



それから、
必要なモノは、
こちらから手を伸ばすのではなくて、
向こう(モノ側)から来るのかな。。

という変な感覚があります。


勿論何もしないでモノ言わぬ物質がすっ飛んでくるわけは御座いませんが。


ただ、何もしないで気付いたら無くなってた事ならあります。
ピンとか針とかではなく。
大事なモノが、定位置から。ある日突然。

泥棒ではないですw

時期的に「用事を終えた」感があったので、
子どもに話す冗談のように
「なくなった○×は今旅に出てるのよ~」
とか言われても信じてしまいそうなタイミングでした。



クジが当たったり当たらなかったりする時の感覚も不思議ですが、

自分の身の回りのものも、来た経緯を考えると、絶妙のタイミングだったり、質の割に安かったり、欲しいと思ってたのが貰えたものだったりするのがあって、そういう物は自分にとって使えたり必要だったりして大事な物になっています。
(得した感がある)


どうでもいい、と(何も考えていないというよりも、この場合は「おざなり」な感じで)買ったものや、妥協して買ったもの、義務感から持っているもの、一時的な欲求を貫き通してしまった奴(苦笑)などは、使いにくかったり、あまり使わなかったりして、埃を被っています…。
(相応の対価、或いはそれ以上を払った…要は損した感がある)



本当に要る物は、

値段を下げてでも、クジに当ててでも、人づてでも、

向こうから来る。

買う時も、こっちから買ってるんだけど、向こうから来てるような。

時々そんな錯覚におちいりそうになります。


………。

だから、本当は、「お金」自体は、
そこまで要らない、のかもしれませんね。

どんな物でも、本当に要るなら、
お金でまず来てその物に代わる時もあるし、
そのもの自体がやってくる時もある。

月に月給で幾ら貰う。
その額面に拘る。

そういう事をヤメナサイ、
そんなん拘らなくて良いでしょ、
という事を示唆されているような気になります。
くじに当たったりすると。
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