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噴火の夢を見てから、
噴火のような怒涛の出来事、は多少ありました。

そして、何となく心に引いてあった一線を越えた気が。しました。
というより、既に越えてしまっていたことを自覚し始めたというか。
そんな線すらなかったんだとか。

とにかく、「噴火」というのは、

ええー 
んなこと言っちゃうのー 
どっかんどっかん 

という、
大爆発・大噴火ではなく、
大爆笑・大噴出(鼻血)とか、
ソッチ系(どっち?)でした。

とはいえ、ハッキリ「警告」された夢でもあったので、
何かそっちにこじつけて安心するのもな…と思っていたりします。

ヘルメットおじさんに対応するであろう方にも会いましたが。
…。;


不安に思ってしまうのは、将来のイメージが全然湧かない&
地震のイメージは鮮明に沸くから、というのがあります。
 
そう遠くない未来にぐっらんぐっらんしてるっていう。
その時は昼でコンビニに居るんですが。
ATMの斜め後ろで、地震だ?!と構えていると、
次に、は?っていうぐらいの揺れと不快な音、
棚の商品が沸き立つというか流れ出るみたいなイメージ。

そういうのはイメージできるくせに、
幸せな未来の「妄想」すら出来ないっていうのは本当にもう…。
どっかピピルとかポポンとかそういう名前の妖精のいるお花畑にでも留学してこようか…。


多分、将来のイメージが湧かないのは、
将来が無いんじゃなくって、
一枚黒い仕切りがあるからだとは思います。
偶にその先が見えますが、嘘だろと、
自分で見ないように、見えないようにしてる…んです。
まだまだせめぎあいがあるので。



…あと、夢に出てきた、
わけも分からず遅刻をしていった学校、
若干違いますが、ほぼそのままな舞台が、
リアルで再現と言うか実現と言うか、しました。

扉入っての部屋の大きさ、窓、床絨毯、
モニターは無かったけど、左手奥にパソコンが置いてあって、
半円の机、重厚感、などが同じでした。
夢メモ読んで思い出しました。
全く同じではないけど、雰囲気が一緒でした。

実際に何をするか知らず、
行くべきだと思ったという直感だけで行き、
実際に遅刻して、(迷子☆)
登場人物も大体同j………同じって言うのは失礼ですが…でした。

もらったのは食べ物ではなく書類(ヤギなら食べるけど)、
ふりかけではなくパーカーでした。(パーカー→打掛→振り掛け?)
あの人の息子…とかいうのはなく(別にどんな人の息子でもない(むしろ娘))
・・・やっぱ全然違うか。


「ざっくり考えるとなんか似てる」 っていう。

実際の人たちの方が
デタラメな夢の登場人物より絶対的に素敵でした。

で、多分、夢で
「学校に行くようにセッティングした父親(何やってるかも知らない・顔も知らない)」
って思ってたのは、
「 」のことなのかなー とか。

解釈が出来ました。
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今年の目標は、半年勉強して某資格を取ることです。
私が…というより、
その肩書を貸す・必要としている人が居るから取ります。

それは苦痛でもなんでもなく、
そういう生き方しかしてこなかったし、
他にしたい事もないので、やりますが…。

自分からしたい、という事が、無いです。
自発的な今年の目標、抱負、そういうものはゼロです。

自分から危機感を抱いて(必要性を感じて)やる、
ということはありますが、
完全に自分の目標と言うか目的の為であることはありません。
自分がやりたいからやる、というのが分かりません。
自分がやらなければ誰かが困るからやる。

誰かが必要としていたり困らないのならば別にやる必要はない。
やりたいな、と少し思ったとしても、
何も人の利にならない場合は気力が湧くまでに時間がかかります。
それから終わった時に無力感しかありませんww
何やってんだろう笑 という。

後は、普通に疲れているときは、
人の為になることでも動くのが辛いです。
(==)これは当たり前か…

趣味…も、やりたくてやってるのか、
やるべき(何かをしているべき)だと思うからやっているのか、
よく分かりません。
全く何もしたくないと思っていても、何かをしていなければ、
面倒くさいのに加えて心配させたくない、ので、
…まぁこれも周りの人の為…に一応なるから動けているのか…。

私が休日に無趣味で無気力でも、
心配する人がゼロになれば、何もしないかもしれない;
別にしたい事が無いので。
これは記録として書いています。
ここから改善するのか落ちるのかちょっと見物っつーか。
数年以上前から改善してない気もしますが、
それより前はマイナス何百だったので、
ゼロ付近まで近づいてきているような、
浮いたり沈んだりです。

普通の人の普通のテンションを百前後だとすると、
まだまだですが。


今は、楽器類が完全に弾けなくなってます。
弾こうという気がカケラも浮かばない。
今私が弾いても、教室には通ってないし、
グループでの発表もないしで、
誰の為にもならないから…でしょうね。


たとえ、最初が自分の楽しみのためにやっていても、
いつの間にか相手の為になっていて、
楽しくなくても止められない、楽しいとしても、
どこか「義務」になっています。

こんな状態で、
生きていること自体が不思議でなりませんが、
とりあえず、偶には役に立つので、
その偶に必要とされる時に、
誰かの為に動く人間である為に生きている、というか。

義務化した「趣味」は、所詮は趣味なので、
通うのを止めれば、参加するのを止めれば終わります。
なんで電池が持たずに終わってしまいました。

趣味ではなく、誰かの生活に直結しているもの、
身近な相手が本当に必要としている事、は、
すぐには放棄できないので対応してます。

っていうかそれしか今のところ生きる理由がないので、
放棄するとかそういう問題じゃなく、
ありがたくやらせていただいている感じです。


予定が無いと、時間が出来ると、
なんかボーっとしていて、マズいなと思います。
一応時間を潰すために何かをしてみたりしますが、
それはそれで、「何無駄な事やってんだろうw」と思います。


ウツだーという状態の時ほど、
気分が落ち込んだりはしてないのですが、
別に 何の欲求もないのです。

取り組みたい何かが無い。

何も食べないと心配されるので、
食べ物を食べますが、
食べるパフォーマンスをしているような気分です。

空腹感も満腹感も無く(食べ過ぎたら気持ち悪くはなる)、
なんとなく何食べても満たされないので、
食べようと思えば幾らでも入りそうで、
カロリーを計算しつつ、適度なところで止めています。

お茶だけは「飲みたい」と思いますが。

まぁお茶だけで生きていけるわけないんで
色々ちゃんと食べてます。


本当に、自分が無いなと思います。

何の為に生きてるんだろうって思います。

生きる目的が無いので、とりあえず、
「他人」の為に生きていますが、
他人の為=自分の為(スキルやらは身に着く?)
というのも分かりますが、

他人の為にした、自分の為になる筈の事は、
自分が望んでいる・欲している事と「=」ではない。
のですよね…。

でも、じゃあ、
お前は何が欲しいのか?何をしたいのか?と聞かれると、
何も。 NOTHING としか言いようがない。

見た目とか性格は、
自分が無いとか内心ほざいてる割には
かなり浮いてるのが分かりますが…(==)仕方ないじゃん

――以下昨晩のやり取り――

遅い夕飯でボーっとTVつけながら食べていたら、母に、
「あなたって、このCMの子と同じ髪型の筈なんだけどねぇ…何が違うのかしらね…」と、困惑顔で言われました。

私が、「顔だよ顔」と本当の事を教えると、
「そういうことを言うんじゃないの!!」とキレられました。

顔じゃなきゃどこが違うっていうんですかね。
骨格?

…色気?

流石に四捨五入して30になる歳でも高校生に間違えられるようだったら考えますが、
未だ一応四捨五入すると20なので。

高校生?って聞かれると複雑な気分です。
老けて見られるよりはいいのか、何なのか。
童顔じゃない筈なのに。

ケバいメイクをすればいいのだろうか。
それはそれで人が完全に寄り付かなくなりそうですが。
顔きついので。


…自分が無い、とは言っても、
一応双子は居ないので、他人とは違う顔を持ってますし、
書く文章の感じにも、偏り・傾向があります。
(どんなに頑張っても、人それぞれ、
各個人の「その人節」が、ありますし、出てしまいます)

余所で、文が独特で面白い、と言われたことがありますが、
前からずーっと同じ調子で、こんな改行の仕方で、
変化がありません。
なので結構ワンパターンだなと思います。

文章も「〇〇ですが、」 
っていうのを多用しているのが目につくというか
自分でもウザいです。
書いちゃうから仕方ないですが(まただ)

後は、「とか」とか「感じ」とか。
成長してません。数年前から。
これがそのうちダサイ族な文に劣化していくのかと思うと…。
少しは新しい単語を仕入れたほうがいいかもしれない、
と思います。

あげぽよー とか…?

基本ローテンションなんで、使うとしたら

さげぽよー ですかね?


つかわねー。
それよりマトモな語彙の幅を広げたい…。
でも小説を読む気力が無くて、
最近全くフィクション系は読んでません。

読了後に作者の文体に脳内が侵されて、
書く文章が他人のものになるのも、今はちょっと。

お堅い「小説」が皆、似たような文章の感じがするのは、
小説家の人たちが、お互いに、
今ある小説を読み込んでいて、
意識して「小説っぽく」書いているからなのかな、
と思ったりします。

どれを読んでも似たような空気。
これぞ小説、みたいな。

(空気だけで、読んでみると意味が解らず、
読めたもんじゃねえわ!とキレるのもある)

単に文章が上手いから、そう感じるのでしょうか?
読みやすく洗練されていった文章は、
何処かその言語の黄金比みたいなものを帯びていて、
結果として似る?的な?


その空気に触れたくなったら読みますが、
今は良いです…。
(==) キリョクガナイ

で、このパターン化された書き方を、
私自身の言葉のリズムだと思えば、それまでですが、
もっと普通というか、癖のない文章が書けたらなー…と、よく思います。

…。


「〇〇ですが、 〇〇です。」

という言葉を多用してると言うことは、
いつも、心の中で、比較したり、
或いは何かを受け入れつつも、実は拒否ってる事が多い、
っていう事なのかなと思います。

いまいち分からなくて、
対処のしようが無いの「ですが」。


で、話が大幅に飛び「ますが」。

昨日(木曜)に、ブリージングストレッチ院というところで、
視力改善を目指すストレッチの単発講座に参加してきました。

……迷いそうだったけど迷わなくてよかった。

一階に石屋があるという事が分かっていなかったら、
入口が分かり辛過ぎて多分通り過ぎていたと思います。

一歩で通り過ぎられるぐらい狭いマンションの入口。

絶対アヤシイですが、著書も読んで、ネットで見て、
この人はイケる…と思ったので行きました。


そこで言われたのは、
体調=内面 ということ。視力=体調。

見たくないから、見えてないんだと…。

私は視力自体は悪くないし、
ずっと視界良好で生きてきたのですが、
高3ぐらいから徐々に乱視で、
今はもうブレまくりです。

物事への焦点が定まってない、
ボカされた世界で生きています。

進路…自体も、
焦点が全く定まっていないので、
(自分の希望というのは無い事になっている)

体調=視力 内面=体調 

ならば 

乱視で視界がブレている、っていうのは、

=世界の焦点をブレさせたい
(自分の目標があるのを見たくない・無視したい)

表れ、でしょうか。



あー まー そーだよなー 
みたくないからみえねーんだなー

と思って聞いていました。


視力が低い=視野が狭い とか、
空や月など自然の物を見る(で、綺麗だなーと思う)と、目が良くなる、
という話も聞きました。

視力が落ちるにつれて視界・視野が狭くなってきているのも、
実感しています。

でも小さい頃から空(雲)が好きなので、
空を見て癒されています。
それで何とかなっていたのかもしれません。

辛い時に支えになったのは
ぶっちゃけ魂の無い他人の言葉ではなく、
「非言語の住人達」でしたから、
自然のありがたみと言うのは分かります。

住人っつーか人間じゃないですが、
自然界の物。 空、植物、石、水、風、など。

私は言葉が好きですが、
出来る事ならば、
言葉を離れた世界の何か一部になりたいと思うことはあります。

でもそういう意識で生きていくには、
周りは視野が狭すぎて、
それに合わせる為に、視野を狭めて、
もう何もないんだと思うことでしか、生きていけません。

周りの人は、多くの人が、
半径数mの事で頭がいっぱいで、
そうやって生きていかなければならないのかと、
それよりも意識を拡大させてしまうと、
人としてうまく生きていられないのだと…ぼんやり思っていました。


普段使うもの、食べるもの、捨てるもの、
その成り立ち。

考えてしまえば、
恐ろしい現実が波のように伝わってくる時がある。


心を込めて、素材から、愛されて、作られたものもあれば、
利益を追求する最終的なメーカーの欲求を通すために、
沢山の人や物が、蔑ろにされながら作られたものもある。

或いは、使う人に良い影響を与えるという宣伝をしながら、
実際は奪っていて、
奪うだけではなく環境をも汚しているものがある。

作られ方を知れば、廃棄した後の事を考えれば、
手に出来ないような製品・食品の山。

でも、それを使わないと「生活できない」と刷り込まれている。

そういう事を考えていると、
神経過敏だの、考えすぎだの、健康オタクだの。
或いは宗教やってるのかと心配されたり。

製品だけでなく、社会の在り方も、
不思議でしょうがない。
気持ち悪くてしょうがない。
人がモノのように消費され、物を消費させられて生きている。

そんな中でも希望を持って生きている人はすごいと思うし、
尊敬するけれど、
何故それを目指さなければならないのかと思ったり、
素直に受け入れられない自分を糞だと思ったり。

ほんっと 人間ヤメタイデス(==)
なんでワタシ人間ヤッテルデスカ?

目標も、したい事も無く、
無駄に衣食住の事足りる豊かな現代生活を享受させて戴けて、
言うことないですが、することも無いです。

本当は、生まれてきた以上、何かしたい事・心残り?は、
あるのかもしれませんが、
今は、見えません。
乱視だけに。(オチてない

乱文にもなりました。

………乱視だけに。(そして寒い


どうすればいいんでせうかねー。

「馬鹿」になりたいです…。


うう。
っつーか長くなったw 
愚痴は以上です。
調子が悪ければ悪いほど長文になるという法則を当てはめると
今は絶不調っつーことになるのでしょーか。
あるじ ふざいの
うたげを よそに
すまして きけよ
そらの おと

うたい あげ
このよ さいご の
かねの ねの
しんじ つづける
いみを とうとき



ささえる はしら あと すこし
のこす ものは ひ となりて
なきなきて たえしのぶ
ささえきれ いきるのみ




すこしも かわらぬ
わすれる ひとびと
なみだする われら
みようとも せずに
ねがいだけ たくし
なにも せぬもの
なにも されぬと
いまに しるべし

さしのべる てを
もたぬ ものに
のばす ては なし



さきよみの
あたらぬことよ
はなはだし
しるもしらぬも
おなじこと
そなえもしせば
いみはなし
うそもまことも
めくらましなり




正月っぽく和風の言葉を考えていたら厳しいものばかり浮かんだので半分ぐらい書いては消しました…。


年が変わっても、忘れてはならないものがあります。
年を経ても、簡単には消えない傷があります。
「ときぐすり」はあっても、それに効力を与えるのは「ひと」なのですよね。


ただの時間は何ももたらさない。
だから人が「いる」のです。

必要の無いものは存在しない。
死や、災厄でさえも。
という映画を飛行機の中で見ました。
邦題は知りません(>_<)

ある兵士の男性が、
身体も居る場所も別人になっていて、
女性と向かい合って列車に乗っているところから始まり。

意識が急激に引き戻されると、
今度は何処だかわからない場所に閉じ込められていて、
ミッションを完遂するまで、
そこから出しても、死なせてももらえない…という話です。

で、死ぬ直前8分の記憶を保持した死体の、
脳内世界(?)(五感在り)に何度も干渉して、
その脳の持ち主が死ぬ原因となった列車爆破の、
爆弾&犯人を探す…という。

ひたすら何回も同じ「最後の8分」を繰り返すのですが、
毎回少しずつ違うのです。

平行世界の絡む話で、色々と「リアル」な感じがしました。
個人的に…。

肝心の中身は、お約束な感じの登場人物と、
お約束な感じのストーリー展開&結末でした。


個人的に、印象に残ったのは、話よりも、
ラストシーンの作品でした。
アニッシュ・カプーアのだ…と。

彼の作品は、この間、旅行中に見て
「これいい!この人の他の作品が知りたい!」と思ったのが初めてで、
何故か帰ってから作品の写真集を買いに走り、
今回も旅行中に見て、印象に残ったという。

何も関係のない人にそれぐらいさせる、
だから芸術家として認められてるのかなぁ…と思いました。


何が良いのかと聞かれたら、分かりませんが。




何かが起こったときには次の瞬間の選択肢が無数にすでにあって、
でも体験できるのは一つ。

過去を「書き換え」られても、自分には分からない。
何故なら書き換えられた時点で修正済みの方が
「昔からそうだった」事になり、何も不思議はないから。

とかいうトンデモな仕組みがあるかもしれない?


「アジャストメント」と似てました。

コワいけど面白いです。


人は今しか分からない。

そして過去も、「そうだったと思っている」だけで、
本当にその道を通ってきたのか分からない。


実は昨日、
分岐点から「乗り換え」或いは「書き換え」られて、
「いままで」とは違う過去から成る到達点に立っているかもしれない。


たとえ膨大な量の記憶があるからといっても何の証明にもならない。

オモシロイですよね…。






って書いた後に録画した「廻るピングドラム」を見たら、
超展開&これも「乗り換え」の話でした。

何かに意識が向くと、同じようなものが入って来やすくなるのか、
単に目につくのか。

それとも、流行ってるのか。

偶に分からなくなります。
いたる もの
くさる もの
かてに なり
つぎの よの
かせに なり
つるぎ まい
いたる もの
はしる よに
さけぶ もの
あくる よを
めざす もの
はてに いて
そばに いる
ちかき よに
しなる うみ
たける やま
からだ とて
きえる とき
さそう こえ
みちる とき
すべる もの
さかに いて
おつる もの
やまに いる
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